続けられなくても

昨日、昭和記念公園へ紅葉を見に行った。

冬が始まる前の華やかな季節、みんなは楽しんでいるかな。

 

秋は春と同じで、何かを始めるには良い季節だ。

芸術の秋と言うことで、何か芸術に関する事を始めたり、

ジョギングしやすい季節でもある。カフェ巡りをしたり、

料理を始める人も多いだろう。

 

そんな今の季節、少し前に、40代くらいの男性と話をした事を思い出した。

その人は、何かを始めたとしても続く事が出来ない事を言っていた。

ギターをやっても、運動をやっても、料理を始めても長く続いた試しがない、と嘆いていたのだ。

私は、なんてコメントをしたら良いか迷い、ただ話を聞いて頷いていたのだが

その時から、何かを続ける事の意味について掘り下げて考えるようになったのだ。

 

誰もが、何かを志してしばらく続けても、小さな事をきっかけに止めてしまう経験はあるだろう。

その時に、後ろめたい気持ちになったり、続けられなかった自分を責めたり、情けなく思ったり

する人もきっと多いはずだ。

 

もちろん、私自身もそんな経験は山ほどある。その度に、続けられなかった自分を情けなく感じたり

していた。だけど、ある時「やってみないと分からない」という言葉を何かの雑誌で目にした事があり、

その通りだと感じた。続けられるか続けられないかは、やってみないと分からない。

その言葉の通りだろう。やってみて、自分に合わないと感じたら嫌々続けるのではなく、

次に興味を持つ事を探す事に重心を置いた方が、断然ポジティブな選択と言えるだろう。

 

何かを続ける事はもちろん素晴らしい事だと思うけれど、

例え続けられなくなってもそれは、次の新しい世界へ進む道のプロセスである。

 

では何が問題かというと、探究心や好奇心を失う事だと思う。

いくつになっても輝いている人と、そうでない人の違いは、探究心をいつまでも持っているか

持っていないかの差なのだと思う。

もしも、何かを挫折してしまったとしたら、そこで全てを諦めるのかそれとも違う世界へ

冒険をしにいくのか、そこが大きな分かれ道なのではないか。

 

肩に力入れず、緩やかにポジティブに生きていこう。